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親って・・・ 97.09.03
肇は最近宿題に追われている。 7月中旬に新学期が始まり、それまでとは別の校舎での新しいコースに移ってから、授業の難易度がグッと上がってそれに伴なう提出物の数もグーッと多くなり、従ってPCの前で過ごす時間が短くなっているのだ。 週に一日、学校が終わってから図書館に行って夕方まで勉強して来るのだが、それでは間に合わないらしい。 春樹と遊びたいという誘惑や家の内外の雑事に煩わされないで集中できる時間が(たとえ短時間であっても)彼にも私にも必要である。 それで私も夜学に行く火・木は昼食を摂ったらすぐに家を出て図書館に行っている。 木曜は晩ご飯の仕度をしてからでないと出られないのだが(火曜は肇が献立を考えて作る。今晩は何が出来ているだろう?と考えながら帰宅するのは楽しみなものである。世のご亭主族は毎日こんな風に家路に就いているのだろうか…だとしたら、なかなかいいものですね)。
そうそう、そんな訳でわたくしめが調子に乗って前回の“ケーペル”の続編を書いてみることにした。 と言っても今回は“家”の事ではない。 “子供”の事だ。
ケーペルで過ごした週末、春樹は本当に楽しそうだった。 彼は元々とても良く笑う子供だが、あんなにゲラゲラと声を出して一日中笑っていた事ってあるかしら? 考えてみれば肇や私と遊んでいて楽しそうに笑っていても、私達“大人”はやらなければならない事が沢山あって分別臭くそれを分っているものだから、どんなに楽しくても途中で止めて現実に戻らざるを得ない。 金曜の晩から泊って土曜日丸一日、彼はアンドリュー、エリザベス、犬のジャスミン、4羽のアヒル達と家の中と言わず外と言わず走り回って遊んでいた。 夜になって肇がお風呂に入れた時、洗濯物の中に靴下がないのに気が付いて、彼がその日一日裸足だった事を思い出した。 濡れた土の冷たさや日向の砂の温かさ、アヒルの糞は踏むと滑る事や芝のチクチクを、彼はその小さくてまだ土踏まずもきちんと形成されていない両足の裏から感じ取ったに違いない。 春樹の笑い声は私を幸せにする。 でもこの日は少し寂しかったのを覚えている。 ヤキモチ? 子供に親離れされてしまった親の心境? 彼の表情の中に両親だけに向けられる筈の特別なナニカを見出そうとしたけれど、その試みは成功しなかった。 彼はとても幸せそうだった。 たぶんそこにいた人全てと一緒に幸せだったのだと思う。 両親と自分に好意を持っている何人もの人々と犬と薪ストーブの温かさと…それら全てが彼にとっては不可欠且つ不可分の幸福の要素だったのではないか。
日曜日。 朝から春樹の表情は昨日と比べると幾分硬かったように思う。 “さよなら”の空気を感じ取っていたに違いない。 子供は何も分らないなんて大間違いだ。 彼らはしばしば大人には説明のつかない事を敏感に感じ取る。 時折私の顔をまじまじと見つめて、それからツと顔を逸らす。 それはフン!ではなくてツだった。 眉間に皺こそ寄せなかったけれど、それは苦悩と呼んで差し支えない表情だったように思う。 ここがどんなに楽しくてもここは自分の“家”ではない事、従って自分は日常の待つ自分の家に帰って行かねばならない事、そこにはフィル一家はいないけれど両親がいる事… 両親? そうだ、父さん母さんはいつも一緒にいるんだ。 そんな事を、この一つの人格を持った小さい人は一生懸命思い出そうと、理解しようとしていたようだった。
いよいよ車で彼らの家を離れる時、春樹は泣かずにキュッと口を真一文字にむすんでいた。 帰りたくない気持ちを誰も分ってくれなかったという失望感、誰も自分をこの窮地から救ってくれない(大袈裟か?)という絶望感、こんな事じゃ泣けないという彼なりのプライド(これはかなり怪しいけれど)、それからここで泣いたら父さん母さんは寂しく思うんじゃないかという気遣い、etc.
etc. がごちゃ混ぜになったような表情だった。 それでも、暫くはベビーシートの中にジッと座って物思いにふけっていたようだけれど、お昼ご飯を食べてから車の中で昼寝して、目が覚めた頃にはいつもの春樹に戻っていた。 家に着いたら何事もなかったかのように、いつもと同じ駆け回り、大騒ぎ、いたずらし放題… この様子で私はホッとしたような次第だ。
ケーペルで私は、春樹一人をここに残して私達二人がコモに帰ってしまっても春樹はちっとも困らないだろうなと思った。 ピーターも子供達も春樹に充分な愛情を注いでいるし春樹が彼らを大好きな事なんて誰の目にも明らかだ。 毎日フィル一家と楽しく幸せに暮らして、最初は頻繁に誰か、そう、両親が欠けている事に不審を抱くだろうけれど、彼があの日車の中で私達に対してそうしたように、フィル達に気遣ってその事を表情に出さないようにしている内に、やがて私達の事も記憶の彼方に追いやられてしまう事だろう。 子供には両親が絶対必要だとは思わない。 子供に必要なのは充分に愛情を注いでくれる人達だ。 そして春樹にはそういう人々が沢山いる。 銚子と那覇の両祖父母、隠岐で彼を可愛がってくれた多くの人々… もし今後何かの理由で彼がこういった人々に育てられる事になったとしても、私は彼の肉体的感情的成長に何の不安も感じていない。 でも私は決して春樹を手放す事はしないだろう。 たとえ周囲の人全てがそうした方が春樹の為だと言っても、誰も私を説き伏せる事はできないだろう。 それは私がそうしたくないからだ。 私が今仕事もせずに母親稼業に専念しているのは(除、火・木の午後)(仕事がないのも事実だが)春樹の為を思っての事ではない、私が春樹の表情の一つ一つ、一挙手一投足を見逃したくないからに他ならない。 彼は両親の不注意の隙を縫って、自分で生まれたくて生まれたくて仕方がなくて生まれて来た子供だ。 自分の意志でこの世に存在している彼を、当たり前のように母親面するのも恥ずかしいのだけれど、彼が自分で私達から離れて行く日まで、あともう十数年間一緒にいさせてもらおう。
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