HOME, SWEET HOME
 
97.08.27

最近の私達のお気に入りの週末の過ごし方と言ったら“ケーペルの友人宅を訪れる”が筆頭に上るだろう。
ケーペルはパースから南へ200km(車で2時間半弱)下った所にある小さい町だ。 フィル&ピータ夫妻とその子供達、アンドリュー13歳とエリザベス11歳は町のパブリックのゴルフコースのすぐ近くに住んでいる。 こちらのパブリック・ゴルフコースには垣根なんかない。 日暮れ前に勢いよく噴水しているスプリンクラーを避けながらフェアウェーに行ってみると、のんびりと草を食んでいるカンガルーの家族達にお目に掛かる事ができる。 幹線道路からほんの少し入っただけなのに、そこは喧騒とは無縁の世界だ。 牧場の中を流れる小川に沿ってカラーの白い花が群れ咲いている。 そして馬、牛… “こんな所で飼われれば牛も幸せだろうなぁ”と肇は言ったけれど… さぁね。 牛にも一言あるかもよ。

その家は2ヘクタール(5エーカー)の土地に建っている。 言うまでもないが、こちらで家の値段と言ったらそれは土地と上屋込みの値段だ。 勿論集合住宅の場合は別だし何にだって例外はあるけれど。 週末の新聞に新築中古を問わず、不動産の広告が沢山出ている。 例えばこんな風に − ベッドルーム3つ、リビング、書斎、改築したての台所、フローリング、大きいラウンジ、エアコン付き。17万6千ドル。本日公開。お早めに − そして物件の住所と担当者の名前、電話番号。 行ってみると実際に住んでいる人は留守で、不動産屋の人が対応してくれる。 “築何年ですか?”と尋ねると、ん?何年だったかな?それにしてもどうしてこの人はそんな事が知りたいんだろう?というような顔をして20年まで経ってない筈、なんていう答えが返って来る。 こちらでは家の古さはあまり問題にはならないようだ。 古い家の方が一部屋一部屋が広かったり天井が高かったり味わいがあったりして、新しい家より人気がある場合もあるくらいだ。

話を元に戻すと、フィル一家の“ホーム”は2ヘクタールの土地と、その上のフィル自ら建てた家から成る。 そこにある物全て − 母屋も離れもテニスコートも鶏小屋もフライングフォックスも − 彼の手作りだ。 石造りのその家は周囲にぐるりとバルコニーが張り出しているのが特徴的だ。 一ヶ所特に大きく張り出してある所には軒からブランコがぶら下がっていて、夏の夕方に椅子を持ち出してゆっくりお喋りしながら自家製のビールを飲むにはもってこいの場所である。 家の内部も実にいい。 玄関を入るとそこは巨大な一部屋である。 一段低くなった所にTVとソファが置いてあってそこの周囲にだけ肩の高さくらいの壁が巡らされているが、あとは柱が2本立っているだけの広いスペースだ。 その一画が台所であり、ダイニングであり、リビングになっている。 部屋の中央に大きな薪ストーブがある。 5月に火を入れたら10月まで消えないのだそうだ。 空気孔を小さく開けておくと2日くらいは薪を足さなくても大丈夫なのだそうである。 これがまた温かい! ストーブの前にマットレスを敷いて寝ると、真冬でも暑いくらいだ。 冬の間使うお湯はこのストーブが賄っている。 夏になるとソーラパワー。 フィルに言わせると値の張る材料は使っていないという事なのだが、とにかくジャラという木材の使い方が贅沢なのだ。 ジャラは硬くて重くて扱い難いけれど、とても味わいのあるいい木材である。 そのジャラが床になりドアになり窓枠になり、ありとあらゆる所にふんだん使われている。 ドアなんて大きくて厚くて、取っ手一つとってもいかにも重そうな物が実にしっくりとそこに付いている。 これがもし木造建築の2階だったりしたら床の強度が心配になって来そうな代物だ。 止めがジャラの分厚いテーブル。 “あぁ半分に割れば同じ食卓がもう一つできたのに…”なんてケチな事は言わない。 もう一つ目を引くのがプールテーブルだ。 これは何ヶ月か前に家族と友人一同から贈られた彼の誕生プレゼントだそうである。 その他にも足踏みミシンやら彫り込みのある鏡やらのアンティークがさり気なく配置されていて、住む人のこだわりと趣味の良さがジワリと伝わってくるような、とても落ち着く家なのだ。

家の外に一歩出ると、テニスコートがある、トランポリンがある、高い木から下がっているジャイアントスイングがある、バーベキュー台がある、兎に角全て揃っているのだ。 私達は去年の11月にこちらに移り住んでから度々近くの公園などでバーベキューをしたりして“これって贅沢と呼ばれる事だよね”と話し合っていたけれど、フィル達は公園なんかに行かなくたっていつでもできるのだ。 これが贅沢でなくて一体何なのか? そんな目に見える事だけではない。 静かである事、安全である事、それら全てが掛け替えのない物なのだ。 それは本来贅沢であるべき物ではないのかもしれない。 しかし残念ながらそれは実際問題として現在では得難い物になってしまっている。

私達には“ひょっとして叶ったらいいね”的遠い将来の夢として、自分が住む家を自分で建てる、というのがあった。 それがフィルに会って話を聞く内に急に現実的な色合いを帯びて来た。 先日春樹を早めに寝かせてしまってから(7時くらいだったかしら?)肇とビール飲みながらあれこれを話していて家の話に至った。 安住の地をタスマニアに見出そうか、ニュージーランドにしようかと思案していたのは何ヶ月か前の事、今はここ西オーストラリアに落ち着く事を現実的に考えている。 しかしながら肇はまだ家を持つ事に少々こだわりがあるようだ。 それは度々起こり得る“家を持ったつもりが、知らず知らず家に所有されている、縛られている”という状態を指している。 ここは日本、特に沖縄と違って、家とか土地に対する執着が全然強くないので、こちら式に物事を考えればそれは克服できそうである。 私は隠岐で生活していた時に経験した事で“家”というものの重要性を精神面だけでなく物理的にも痛感した。 丁度去年の今頃、大家さんが庭木をごっそり持って行ってしまったのである。 庭師が何人も入って、重機やらチェーンソーやらを使って、かなり大掛かりな作業だった。 その頃やっと寝返りを打つようになった春樹が昼寝ができるような環境ではなく、眠くてふにゃふにゃになっている彼を抱きかかえて知り合いの家に避難する為に家を出た時、“ただいま”と言って帰る場所、服を脱いで目を閉じて横たわっても安全に関する不安を感じずにいられる場所、不本意に他人から生活を脅かされる事のない場所がどんなに大切かという事を涙が出るくらい強く感じた。 大好きだった庭の景色を失い、隠岐を離れる事にふんぎりが付いたものだ。 シェルターを持つという事はどんな生き物でもする基本的な事だけれど、とても難しい事なのだと改めて思った。

一目見ただけで恋に落ちてしまうような家に出会うのはとても難しい事です。 だから皆さん、私達は案外早い時期に“我が家”を構える事になるかも知れませんよ…?