ミミチリボージの復権
 98.02.01
  

ブランコの快楽を思い出したこともそうだが、子供と生活をしていると記憶の沼地に沈殿していた様々なことを思い出す機会が多い。

 例えば子守歌。元来なぜか歌の歌詞を憶えたり思い出したりするのが苦手な僕だが、1年半ほど前、まだ隠岐之島で生活をしていた頃、生後半年程の春樹をあやしながら家の前の堤防のへりを歩いているときに突然「ミミチリボージ」が口をついて出た。沖縄の子守歌で、日本語に訳すと「耳切り坊主」。あやされる方にとっては強迫まがいのとんでもない歌で、簡単に内容を説明すると、「早く泣き止まないと、ほら、あっちの角に立っているミミチリボージがやってくるよ。やってきておまえの耳をグスグス切っちゃうよ、うりひぁー」しかもその歌によるとミミチリボージは三人も四人もいるんだから堪らない。耳を切るときの擬音「グスグス」というのが何とも真に迫っていて痛そうなのだが、しかし酷い歌詞だ。耳なし芳一なみのホラーを乳飲み児に強要しようと言うのだから。

 とは言え、この歌はまだフィクションの部類だからかわいいものだ。幼い頃、とは言っても社会的精神的に幼なかったあの苦い青春の頃ではなく、小さな体に無限大のチカラを持っていた幼少時代、僕は週末になると沖縄の中部にある読谷(よみたん)の祖父母の家に行っていた。そこでどんな子守歌を聞いたか聞かされたかは憶えてない。しかし駄々をこねたり、イタズラをしたり、とにかく大人の機嫌を損ねるような何かをしでかすと「言うこときかんと、ビンコーヤーのタローに連れていってもらうよー」と言われたもんだ。ビンコーヤーのタローとは、民家を一軒いっけん訪ねて空き瓶を買い集め、それを暮らしの糧にしている太郎さんのことで、実在の人物にもかかわらず、今僕はまったくその姿を思い出せない。太郎がほんとにタローの実名なのかも何だか怪しい。しかし、その時受けた恐怖心、特に祖母に「うっり!タローが来るよー、来るよー」と言われるときの逃げ場のない緊迫感と悔恨は今でもまざまざと心に描ける。描ける、と言うよりも沸き起こってくる生々しい記憶が体を震えさせる。つまりこれは、しっかりと深層に刻み込まれたトラウマだ。

 ある幼い日の夕方、その読谷で釜炊きの風呂に入っていると、風呂場の小さな格子窓の向こうに、がたがたとリヤカーをひく音がした。一緒に入っていた、そんなに僕と歳のかわらぬ叔父が、タローが来たな、と言った。コンクリートブロックの壁にはめ込まれた、その小さな木枠の窓のすぐ下は、あまり人通りのない舗装されてない道で、タローの曳くリヤカーのがたがた言う音に混じり空き瓶同士の軽くぶつかりあう音が漂っていた。風の強い曇った日だったように思う。小さな窓の向こうには低く立ちこめた暗い雲だけが見える。風の音に混じる、空き瓶の重なり合う音。僕はその音が窓に近ずくにつれて、今にもタローの目が窓からのぞき込むんじゃないかと怯えていた。結局そんなことはなかった(ほんとは分からない、見たのかも知れない)のだけど、その時の、のぞき込むんじゃないか、のぞき込むんじゃないか、という緊張した一瞬は今でも記憶の中で凍り付いたままだ。僕は幼少の読谷の日々を思い出すたび、風呂場の小さな格子窓の向こうの永遠に訪れないタローの実像に緊張する。胸の内側に重たく暗い気体を感じる。まるであの時の重たい雲のようだ。

 タローのような、共同体の作り上げた、子供の躾に利用するスケープゴートは珍しくなかった。例えば妻の理江が幼少の頃は、「アキちゃん」が活躍した。アキちゃんはタローとは若干効果の現し方が違い、「言うこと聞かないと、アキちゃんみたいになるよ!」という、現在の恐怖よりは暗く悲しい将来をちらつかせる方法を採ったものだった。アキちゃんは理江の母の実家、千葉の佐原に実在した中年女性で「凄い」化粧を施し、巨大な、まるで風車(ふうしゃではなく、かざぐるまです、もちろん)のようなカンザシをざっくりと差して通りを歩いていた。家族のものが幽閉を企てても、行かず後家のアキちゃんはきちんと化粧をし身なりを「整え」、家々の子供達に躾をするべく表へ出ていった。

 最近読んだ椎名誠の「岳物語」にも出ていた。カメヤの三造、というのがそれだ。これは種類からいえばビンコーヤーのタロー的存在だった。

 おそらく、タロー的存在はあらゆる大人達の幼少の数だけ、つまり無数にあるだろう。いや、あっただろうと言った方がいいか。その当時はきっと共同体の中で、たとえ蔑視の眼差しはあったにしても、ある役割を持って生活をしていたのだろうが、もはやいま、彼等はどこかへ行ってしまったように思える。白くそびえる壁の向こう側に追いやられてしまったのか。つまり、あの風呂場の格子戸はアルミサッシの窓に替えられた、というわけだ。きちんと閉まり、何も聞こえない。あちらとこちらの接点は閉じられてしまった。そしてリヤカーの音はもう聞こえてこない。

 ところで、今僕らが住んでいるパースの街はどうもタローに似つかわしくない。なにより天候がだめだ。だめ、というより、良すぎる。特に夏は毎日快晴、そしてとても乾燥していているので、暑いとは言えさわやかだ。極端な話になるが、幽霊にとって何が重要かというと、恨みつらみではない。湿度だ。湿り気と、それを運ぶ舐めるような風だ。パースのように乾燥してては、ひからびて死んでしまう。もちろん、タローやアキちゃんや、カメヤの三造はお化けでも幽霊でもないが、どうもそういった伝説にはある種の湿り気が必要だと感じる。遠い昔の微かで曖昧な記憶が形を保ちつづけるためには保存に適した湿度が必要だ。そうでないと記憶もまたひからびて死んでしまう。それから、この街は若すぎる。ヨーロッパ人が入植してから高々200年だ。タローが共同体の土壌で育まれて実をなすには短すぎる。そして、ビンコーヤーのマイケルじゃ、絵にならない。躾にならない。

 さて、春樹の躾。僕はひそかに「ミミチリボージ」の復権を謀っているところだ。毎日一緒に入っている浴槽の中で歌えば大丈夫だろう。立ち昇る湯気がいい具合に湿度を与えミミチリボージの復活を助けるはずだ。いま春樹は2歳だから、そうだなあ、3歳ぐらいから歌い始めようかなあ。そしてここぞという時に言うのだ。「はるき!言うこときかんと耳ぐすぐすされるよー!」