花、誕生-戸惑う妊娠編
  
98.05.31

5月16日午前4時7分、僕らにとって二人目の子、そして2歳の春樹にとって初めての妹が生まれた。名前は「花」。女の子なら絶対にその名前にする、と春樹が生まれる前にも妻が主張していた名前だ。西オーストラリア州に登録した名は「Hannah」、やはりハナと発音する。そのスペルも含めて妻の希望通りとなった。

花は第一予定日を9日も越えて生まれた。「第一」予定日とは妙な話だが、花には予定日が全部で三つあった。どうしてそんなことになったのか、どれにもそれぞれ理由がある。

普通、予定日は妊娠前最終月経の初めの日から数えて280日目、と決められている。受精の日から数えるのが当然理にかなっているのだが、どの日がその日なのかを明確に同定できる人々がそんなにいない、という理由で便宜上最終月経を基に分娩予定日が決められている。で、280日目を数えることになるのだが、それには簡単計算法(Naegele 概算法というそうです)がある。最終月経の第一日目の、月に9を足し、日に7を足すことで、予定日が瞬時にわかるのだ。例えば2月10日が最終月経の初日だったとすると、2に9を足して11月、10に7を足して17日、すなわち11月17日が予定日ということになる。じゃあ、8月ならどうなるんだ、という指摘が当然あるが、8に9を足すと、17なんてナンセンスなことになるので、足して13を越える場合は、9を足す代わりに3を引いて、8引く3は5月、という具合にします。そういうふうにして得られた花の簡単計算予定日が5月7日だった。これが第一予定日。

しかしこの計算法は若干乱暴です。第一、大の月、小の月の日数がちゃんと考慮されていない。で、もって、きちんと280日目を数えてみると、5月11日となったわけです(多分)。妊娠中、妻のかかっていた医者、ドクター・ペインはその予定日を妻に告げた後、「あらまあ、この子はきっといい子になるわ」と言ったらしい。「私と一緒の誕生日になるのよ」と、いつも何だか慌てた素振りのペイン先生は無邪気に笑った。でもなんで予定日が二つもあるの、といぶかしがっていた妻は、その話を僕にした後、「きっと自分の誕生日に会わせたかったから適当なことを言っているんじゃないかしら」などと不遜なことを言っていたが、そうじゃなくて、きっと彼女はきちんと280日目を数えたのだ(と僕は信じている)。しかしドクター・ペイン(Dr. Payne)とは、凄い名前だ。医者にあって「痛い」という名前じゃあなあ。でも考えてみると日本人にだって「伊丹(いたみ)」先生がいるわけだし、まあ、いいか。

そいでもって、3番目の予定日のこと。オーストラリアの医療システムは日本のそれに馴染んでいた僕からするとだいぶ観点が違う。2年前に隠岐之島で春樹を出産した妻も両者の違いにだいぶ戸惑っていた。どっちがいいとか、悪いと言ったことではない。それぞれに理由があり、説得力がある。

医療制度といった大きな話を抜きに、妊娠分娩に関して話を限ろう。妊娠を理由に医者を訪れる女性に、オーストラリアでは最低限の検査しか行わない。体重、血圧、尿検査、子宮底長(メジャーで腹の上を計るだけ)、浮腫の有無(問診で済ましていた)、そして妊娠後期になれば胎児の聴心音。それだけだ。それで充分といえばその通りだろう。しかし、日本での、「異常」に対する徹底した発見努力に慣れ親しんでいた僕の「医療」の常識からすると、初診時はもちろんのこと、もっと頻繁にエコー(超音波検査)で診なくていいのだろうか、と心配になってしまう。この妊娠は正常妊娠なのだろうか、胎胞(妊娠のごく初期の細胞の小さな塊)は子宮内にちゃんと着床しているのだろうか、絨毛性疾患の疑いは?、そういった様々な疑問が、初診時には当然あるはずだが、エコーは妊娠20週あたりに一回だけ行えばいい、と医療保険上(無料の国民保険)決められている。もちろん金さえ払えば好きなだけ検査を受けられるのだが、医療基金からの支払いは妊娠20週の時期一回だけなのだ。その根底には、診察、検査、薬局が完全に分業となっている医療の仕組みがあるようだ。

日本では、産婦人科の診察室には様々な診察器具や検査器具が備わっていて、じゃあちょっとエコーで診てみましょうか、と診察のついでにちょちょっと検査ができるが、オーストラリアでは診察室にそんな器械はもちろんのこと、診察器具にしても驚くほど何もない。これもまた日本の産科では必須の、内診台(ベッドに仰向けになって大きく足を広げる、例のあれです)も置いてない。超音波検査やレントゲン写真が必要なときは、医者にもらった紹介状をもとに自分で電話予約を入れ、わざわざ別の場所にある検査施設に出かけなければならないのだ。そしてその検査結果を持って再び医者を訪れる。患者にとってはめんどくさいし、医者にとってはまどろっこしい。しかしこの国はその方法でやってきてるし、それで特に問題が生じている気配はない。そういうシステムだから、そう何度も気軽に超音波検査が行えないのだろう。だがやはり重要なのは、そのシステムを支えているオーストラリアの医師達の、疾患や妊娠に対する考え方なんじゃないだろうか。

妊娠の初期、妻がドクター・ペインにあっけない診察に対する不安を伝えた。「超音波検査もせず、私のこの妊娠が正常な妊娠だと、どうして言えるのか」と、日本での前回の妊娠出産の経験を引っぱり出し、ややにじり寄って言うと、ペイン医師は次のようなに答えたらしい。

「日本では、異常が明らかになる前に、あるいは起こってしまっても、なるだけ早い時期にそれを見つける努力をしているのでしょう。しかし、オーストラリアでは、異常が表に現れてから対処するようにしています。それからでも遅くはないと信じているからです。でも、これはどちらがいい悪いといった問題ではないと思います。これは、ほんとに考え方の違いです」

その通りなのだろう。日本は敗戦の壊滅的打撃の後、すさまじい勢いで医学水準を上げ、医療施設・医療設備を充実させてきた。具体的な数字は今ここにはないが、出産時の妊婦・胎児死亡率は戦後めまぐるしく改善した。その背景には「治療」水準の上昇志向もあるが、いわゆる早期発見の思想が大きく働いていたと思う。しかしその思想は、いつの間にか、微視的なスクリーニングを頻繁に行うことが習慣化した医療現場へと変わってはこなかったか。

話を戻そう。第三予定日のことだった。結局僕たちは自腹を切って、保険適応外の妊娠初期に超音波検査を受けた。結果は「異常」なし。そしてルーチンの20週にもう一度超音波。そのときの超音波検査医師(技師ではなく)が「うーん、この大きさだと予定日は5月14日となりますなあ」と、器械に数字を打ち込みながら言った。だいぶ遠回りをしましたが、それが第三予定日の根拠です。

話をもっと戻そう、いや、もっと先へ進めよう。花の誕生のことだった。

(以下「花、誕生-あたふた出産編」へと続く、はずなのですが、一年経つ今現在、まだ続いていません。そのうちなんとか。)