「赤い衝撃」奮闘記
 2000.03.29

かつて医者だった(うーん、いい響きですね)こともあり、僕はいろんな検査を経験してきた。「経験した」というのはこの場合、受け持ちの患者さん達を相手に「やった」方であり、未熟な僕の腕にかかった方々には今でも済まないという気持ちでいるのだけど、まあとにかくいろんな検査をやって来た。
それから、南極行きの前にやんなくちゃいけない健康診断のおかげで「胃のバリウム検査」と「胃カメラ」はやられる方としても経験していて、胃の検査のどこかどうつらいものか、ということはある程度(文字通り)身を持って知っていた。しかしコロノスコピー、いわゆる「大腸カメラ」だけは、やったことはあっても、まず当分やられることはないだろうとタカをくくっていたのだが、なんとここオーストラリアでそれをうけることになろうとは。現実はシビアだと言うべきか、年をとったのだと認識すべきなのか。

だいぶ古い話になるが、時は昨年10月。ところはパース、僕んちのトイレ。(あまり深く想像力を働かせない程度にお付き合い願います。)

朝のお勤めを無事果たし、静かな部屋での読書をいつものように楽しんだ後、おもむろにトイレットペーパーをちぎりナニを拭いたその紙を見たとき、僕の周りで時間が止まった。白いトイレットペーパーが真っ赤なのだ。それも主役の陰でひっそりと佇むなんておとなしい態度じゃなく、ドバーッとこう舞台全体赤く仕上げましたってな感じ。僕はしばし考えた。その時の僕の脳の状態をミクロン単位で見ることができたなら、ありとあらゆるニューロンに電流が行き交い、夥しい数のシナプス間では化学物質の大移動が随所で見られたんじゃないだろうか。山のような疾患リストが現れ、ガシャガシャと目まぐるしく鑑別診断が始まった。「いったいオレの身に何が起きたんだろう」の答を弾くべく、その時の僕の頭脳の働きは旧式の電子計算機なんかには負けないほどに高速回転していた。そして、エネルギーを脳内に全てまわしていた僕の全身はしばらく硬直していた。その間、おそらく時間にして数秒。

考えられることその1。まず何と言っても最悪は癌。新鮮血だから、もし癌からの出血なら下部消化管、それも直腸、あるいはS状結腸。これだけの出血量からしてまず進行癌。転移がなければ手術でいけるな、しかし場所によっては人工肛門か。うーん、これから先のオレの人生の活動範囲が狭まるなあ。

考えられることその2。これまでの健康診断でオレには痔はないと言われている。そして今の出血に関しては痛みが全くない。しかし案外、内痔が見落とされていることも考えられる。もしそうならそこからの出血なのかもしれない。新鮮血だというのもそれで説明が付くし。しかしそうならオレも痔主か。

考えられることその3。大腸の炎症性疾患。これもないことはないだろうが、それにしても血液に「不純物」が混じってない。でももしそうならやっかいだなあ。

まあ実際的には、その1とその2の二ついずれかだろう。オプションとして癌のバリエーションが(実に)たくさん上がるくらいだ。さて、どうするか。こういう場合は慌てない方がいい。慌てても何も好転しない。僕は医者時代におそらく何千遍も患者さんに向かって言った、内科医にとっての魔法の言葉を自分自身に向かって呟いた。
「まあ、様子を見ましょう」と。
そしてこの件は、出血が続くなら医者に行って診てもらい、ある程度診断が付いたところで妻に告げよう、と心に決めた。そして、赤く染まったトイレットペーパーをトイレの水と共にジャジャジャーと流し去った。

ガンであるかそうでないかは僕の体の中ではもう決まっていることなんだから、今さら慌ててもしょうがない。僕はそう自分に言い聞かせた。そして冷静に判断を付けた自分にやや満足した。方針を定めたことでとりあえずホッとした。

「ねえ、あなた出血したの」と妻に尋ねられたのはそれからわずか5分後だった。「えっ」どうして分かったんだろう。僕は唖然とした。
「便器の内側に血が飛び散っているわよ」
しまった。冷静にことを運んだつもりだったが、そんな初歩的な証拠を残していたとは、やっぱりだいぶ動転していたんだ。
「ああ、今朝ね、けっこう出血したんだ」
もはや隠すことはできないことを知り、それでも努めて冷静をよそおい事実を言った。あーあ。
「痔?」
妻は不安そうに尋ねた。
「うーん、どうかな」
「どこからの出血か分かってるんでしょ」
「いや、分からないんだ」
「でもだいたい分かるんでしょ?」
「だから、分からないんだ!」
思わず語気が荒くなった。そして会話はそこで中断した。気まずい雰囲気が残った。

日常生活の営みの大部分は自動化しているんだと僕は思う。取り立ててしっかりと考えて行動せずとも、体が自動的に働いてしまうことは誰にでも経験があることだ。朝起きる、顔を洗う、飯を食う、着替える、靴を履く、いつもの道を歩く、料理をする、風呂に入る、そういった毎日毎日の繰り返しの部分は意識しなくてもスムーズに進行していく。例えば汚れた食器を洗うことだってそうだ。毎日の食器洗いは僕の担当で、いわばエキスパートなんだが、その日はどうも勝手が違った。洗う順序がいつもと違う、ゆすいだ後の皿の並べ方が違う、コップの置き方がしっくりこない、小さなことが今まで馴染んできたやり方とことごとく違う。意識を集中してみても空回りしているようで、尚更動きが変になる。それはまるで滑らかに動いているベアリングの中に砂粒が混じり込んだような、どうにもぎこちない感じなのだ。
やはり引っかかっている。朝のあの出血が脳裏にしっかりとこびり付いている。
僕はそう感じていた。

そして3日後、僕らの家庭医ドクター・ペインを訪ねた。中年の女医、ジョーは僕のケツの穴(すみません)に人差し指を根元まで差し込んだ後、やや早口で言った。「特に何も触れないわ。さてどうしましょう」
「念のために僕としては精密検査を受けたいのですが」
「コロノスコピー?」
「ええ」
「そうね、30代の人には基本的に勧めてないのだけど、あなたのお父さんが大腸ポリープをもっていたんなら、やっておいた方がいいかもね」
僕の既往歴や家族歴を聞き終えてジョーはそう言った。
「公立病院でいいかしら」
「ええ、もちろん構いません。いくらぐらいするのでしょうかね」
「タダよ、まったくお金はかからないのよ。でもだいぶ待つことになる、それでいい?」
タダで受けられるのか、そりゃあいいや、と僕は内心喜んだ。
「どれくらい待つのでしょうかね?」
「うーん、2ヶ月くらいかしら」
そりゃあちょっと待たされすぎだ。もしガンだったらその間に進行しちゃうぞ。
「でも、もし出血が続いたり、気になる症状が出てくるようなら、交渉次第で早くしてもらうこともできるから」
じゃあ、そういうことで、とドクター・ペインは話を打ち切った。いつもの彼女の口癖「アー・ユー・ライト?」を最後に残して。

それから僕の出血はピタッと止んだ。一滴たりとも姿を現さなかった。だが一度芽生えた不安の種は消えることはなく、検査日を伝えるロイヤル・パース・ホスピタルからの手紙を今か今かと待ちかまえていた。気になることは年内に終えて、気持ちよく新年を迎えたいものだ。

しかし手紙はなかなかやってこない。大晦日、正月が過ぎた。まだ来ない。これはきっとジョーが紹介状を送りそびれているに違いないと僕は疑ってきた。この国の人はそういうチョンボを平気でやるのだ。医者とは言ってもやりかねん。そうだ、きっとそうに違いないと確信し、いよいよクリニックに問い合わせをしようかと思っていた矢先の1月中旬、なんと受診してから3ヶ月近く経った頃、やっと手紙が届いた。検査日は3月23日。なんとまだ2ヶ月も先だ。つまり受診してから5ヶ月待ちということになる。いくらなんでも待たせすぎだろう、これは。

不思議なもので、やはりあれ以来まったく出血はなかった。それに連れだんだんと当時のショックが薄れてきた。なんだ、あまり心配するものでもないのかもしれない。ここは一発ケツまくって逃げたろうか、とコロノスコピーを受けるという憂鬱な現実からの逃避を考えていた。その矢先、あと2週間で検査日という朝、起こりました、出血が。あんたの考えはすっかりお見通しですというタイミングで、体からのメッセージ、つまり真っ赤な抗議文が届いたわけだ。わかりました、観念します。そしていよいよ検査日がやって来た。

コロノスコピーはご存知の通り(ご存知の方はご存知でしょうが、ご存知ない方はご存知ないのでしょうが)、肛門からお入りになった細長い管が直腸、S状結腸、下行結腸、横行結腸、上行結腸、最後に回盲部という小腸と大腸の連結部分と、どん詰まりの盲腸に辿り着いた後、今度は引き抜きながら肛門へ向かい、腸管内の異常を探す検査で御座います。だから、その管腔内はクリアでなければならない。いろんなものがボソボソと残っていたのでは見たいものも見えないので御座います。

というわけで、検査に先立ってめんどくさくてしんどいことをやらなくちゃいけない。食事の内容から飲まなくちゃいけない薬のことまで、先にもらった「検査案内書」の中で事細かに指示されているのだ。具体的には、検査3日前から食物繊維は一切摂ってはならない。野菜はもちろん果物もだめ。そして前日はさらに厳しく、水分以外を口にしてはいけない。糖分もそこそこにしておきなさいと。だから腹が減ってしょうがない。その上、夕方にはクエン酸マグネシウムという緩下剤を1時間かけて500cc飲み干し、眠前にはbisacodylというこれまた緩下剤を3錠(15mg)のむ。念のためにと思って今調べたところによると、クエン酸マグネシウムは日本人向けの一回量の2倍、そして bisacodyl は1,5倍の量だ。どうりで苦しかったわけだ。くそー。

腹は減るは、緩下剤のパワーでトイレに通ってばっかりだわで、もうヘトヘトになった検査日の朝、さらにポリエチレングリコール3リットルという難関が待ち受けていた。これはまさしく難行苦行だ。ポリエチレングリコールは腸管からまったく吸収されない液体で、飲んだ分だけすっかりそのまま出ていくという、まるでホースの中を水道水が通過していくような仕組みで腸管内をキレイにしてくれる。検査をする側の方々にとっては有り難いお薬だ。しかし受ける側にとっては、分かっちゃいるけどもう勘弁して下さいってなもんで、3リットルのレモン味ポリエチレングリコールを前にして、僕の頭の中を「疲弊」とか「消耗」とか "exhausted" とか言う単語が通り過ぎていった。たしかこれも日本では2リットルだったような記憶がある。この国の人々の体力と同じに考えてもらいたくなかったぞ。

飲んだ液体と出ていった液体の色と性状がほとんど区別つかなくなった頃、僕は妻の運転でロイヤル・パース・ホスピタルに出向いた。もうフラフラだ。
「じゃあ、お父さん頑張ってきてねー」と手を振る息子と笑いを堪えている(ように見えた)妻と別れ、僕は独り消化器病棟へとエレベーターで上がっていった。受付を済ませイスに腰掛けていると
「ミスター・ヤマウチ?」と中国系ナースに呼ばれた。
僕は立ち上がり、連れられて小さな部屋に入った。彼女は名前と生年月日を確認し、僕の左腕にプラスチックのタッグを巻いた。患者の取り違えを防ぐ方法なのだろう。それから例のポリエチレングリコールを飲んでの感想や、副作用の有無を尋ね、
「あのレモンフレーバーは美味しかった?」と聞いた。
「人工的な味であまり美味しいものではなかったよ」と僕は答えた。彼女は笑って書類を閉じると僕を病室に案内した。
「これに着替えてベッドで待っていてちょうだい。ロッカーは8番のやつを使って。それから、こっちがトイレね」と、テキパキと説明を終えるとガウンを僕に手渡し彼女は去っていった。
ロッカールームで着替えていると、70歳前後の小柄な老人が入ってきた。
「コロノスコピーは初めてかい」
その老人が着替えながら僕に話しかけてきた。
「ええ、初めてです。あなたは?」
「2回目だ」
「前回はどうでした。苦しかったですか?」
「いや、そうだなあ、たいしたことはなかったよ、ハハハ」
老人は目を大きく見開いてそう言った。僕と同じ前処置を済ませたとは思えないほど快活な口調と笑いだった。

着替えが終わると僕は割り当てられたベッドに入った。持ってきた本を開き読み始める。6人部屋のベッドは全てうまっていて、入り口の左横のベッドではスパニッシュ系の髭の男がいびきをかいて寝ている。反対側のベッドには少しぼけているような足もとのおぼつかないような老人。そしてその横に僕、窓際のベッドでは私服の若い男が足を投げ出して週刊誌をパラパラとめくっている。その向かいにはインドかスリランカからの移民らしき中年の女性。彼女は仰向けでピクリとも動かずよく寝ていた。部屋の端に吊り下げられたテレビが、ずっと昼メロを流していた。

僕の向かいにはさっき更衣室であった老人。着替えを済ませベッドに潜り込んだその姿は、急に生気が失せたかのように見えた。まるで「患者」だ。きっと僕も今そう見えているのだろうなあと思った。病室のベッドの上に検査用のガウン一枚を着て寝ていると、誰だって患者になったような気分になる。コロノスコピーという検査方法を知っている僕ですら心細い気持ちが心に芽生えているのだから、ましてや検査がどんなものかをよく知らない人々はとても不安に思うはずだ。そんなことをボンヤリ考えていると、だんだんと物憂くなってきて僕は眠ってしまった。

「ミスター・ヤマウチ」
気が付くと、医者とおぼしき若い女性が僕の足を軽く揺すっていた。研修医だろうか。
「時間ですよ」
部屋の入り口の時計が2時を指していた。
そうですか、と僕がベッドから下りようとすると
「ああ、そのままでいいから。ベッドごと行きます」
背もたれを倒されたベッドに僕は仰向けに寝かされた。そのまま彼女はベッドを部屋から押し出し、僕は廊下の途中にある広い検査室へと運ばれた。検査室では4,5人の男女がそれぞれの分担作業をこなしている。見覚えのあるオリンパスのファイバースコープがモニターの側に掛けられていた。横向きになるように言われ、僕は左側を向いた。緑色の術着に身を包んだ顔の長い若い医者が僕の正面に立った。
「やあ、気分はどうだい?」その男は笑いながら話しかけてきた。
「悪くないよ」
「日本で医者をしてたんだって?」
「ああ。コロノスコピーもやったことはある。でも受けるのは初めてだよ」
僕も笑った。それから彼は僕の手を取って
「右手から鎮静剤を注射するから。知っての通り少しこいつは血管痛がある。そのあとヘパリンロックで注射器を固定しておく。いいかい」と言った。
鎮静剤の成分名を早口で言ったがよく聞き取れなかった。まあいいや、あとで聞き直せばいいやと思っている内に、冷たい液体が手の甲から上腕に掛けてシュッと送られた。その不快感に顔をしかめた。
「あ、そうそう、南極に行ったんだって?」
男がまた笑いながら僕に話しかけた。
「ああ2度行ったよ。でもどうして知ってるんだい」
多分ジョーの紹介状に書いてあったんだろう、と思うと同時に瞼が急に重くなり、僕は眠りに落ちた。

上腹部をファイバースコープが蠢いているのが分かる。その違和感に目を覚まし、ううーんと僕は唸る。周りで声が聞こえ、その動きが止む。そしてまた眠りに落ちる。そんなことが何度かあった。

モニターの映像がボンヤリと目に映った。赤黒い盛り上がりがモニター上に見える。はっきりしない頭で考える。回盲部の弁だろうか、それとも・・・
「これはポリープ?」
と僕は尋ねた。口が思うように動かない。
「いや。そら、もう終わりだよ」
背後で声が聞こえ、スコープが抜かれた。
ああ、直腸の見下ろしだったのか、と納得しまた僕は寝てしまった。

気が付くと元の部屋にいた。ちょうどそこに入ってきたナースが、
「何か飲む? 紅茶、コーヒー?」と尋ねた。
猛烈に喉が渇いていたのに僕は気づき、水が欲しいと答えた。
しばらくすると彼女はトレーに冷たい水とミルクティー、それとサンドイッチを持ってきた。僕はお礼を言って口にした。砂糖のたくさん入ったミルクティーがすごく美味しく感じ、大事に味わいながらゆっくりと飲んだ。体中にその糖分が染み渡っていくように思えた。あんなに腹が減っていたのにサンドイッチを前にして食欲が湧いてこない。まだ寝足りないのだ。それでも何とか口に入れ、また僕はシーツに潜った。

「皆さん、起きて下さい! 家に帰る時間だよー!」
声に驚いて目を覚ました。モップを抱えた男2人がベッドをまわっている。
「今夜も泊まっていく気ですかー!」
笑いながら男が僕の顔を覗き込んだ。部屋の時計が4時半を指していた。検査が終わって2時間もここで寝ていたようだ。
「分かったよ。帰るよ、帰るよ」
僕はそう言ってベッドから下りて着替えを済ませ、部屋を出た。でも結果の説明もまだ受けてない。どうしたもんだろう。取りあえず検査室を覗いてみた。例のナースと目があった。誰かの検査中らしい。廊下で待っていると彼女が駆けてきて、向こうのカウンターで少し待っていてと言う。あ、それから奥さんには電話を入れといたから迎えに来てるはずよ、と付け足した。まだ鎮静剤が抜けきってなく、体がフワフワと宙を浮いているようだ。しばらくして小柄な中年の医者がやって来た。
「ミスター・ヤマウチ。検査結果は "completely normal" です。どこにも異常はありませんでした」
「というと出血するような箇所は見られなかったと」
「そういうことです」
「内痔もないのですか?」
「小さなものはありましたが、治療するようなものではない」
「そこから出血したんでしょうか?」
「わかりませんが、おそらくそうでしょう」
じゃあこれを主治医に渡して下さい、と封筒を僕に手渡すとその医者は検査室へと戻っていった。

ロビーで待ってると妻と春樹、花が広い廊下の向こう側にいた。眠気と怠さがまだしっかり体に残っていたが、僕を見つけて走ってきた春樹と花を僕は抱き上げた。
「どうだった?」
「何ともないんだとさ。もうヘトヘトだよ、少し休んでいこう」
僕らは院内の売店でアイスクリームを4本買い、外の小さな公園の芝生に座ってみんなでそれを食った。

あれからそろそろ1週間が経つ。ひどい出血はもうない。なんにせよ一安心だ。この先もう当分コロノスコピーを受けることはないだろうと思っているのだが、返す返す残念だと思っていることが一つある。ポリエチレングリコールを3リットル飲み終わったときに体重を量りそびれたことだ。要するに胃や腸に何にも入っていない状態の僕の体重(つまり「グロス」でなく「ネット」ですよ)を知ることのできる唯一のチャンスだったのに。
惜しいことをした。今度は忘れんでおこう。よし。