●2001年10月24日

「多勢に無勢」

多勢に無勢という言葉があるが、その多勢に後押しされている人は強い。強いと単に言い切ってしまうのも語弊があるので、好き勝手が効く、とでも言い換えようか。多勢をバックに付けた指導者のすること言うことは、とかく無理が通るのだ。そしてそれを知っているその指導者は、承知で無理を通す。

ここまで書いて、じゃあその指導者は誰でしょう、というクイズにアメリカの大統領「ブッシュ」と答えることもできる。でも僕は日本の首相「小泉」を念頭に置いていた。

このところのテロ関連法案だ。小泉首相は野党との会談のあとに使う常套句がある。

「なーに言ってんのかわからない」

こっちは誠心誠意説明しているのに、わけの分からないことを言って反対してくる。何度説明しても彼らは納得しない。僕の言っていることのどこに反対しているのか分からない。最終的には何を言っているのか分からない。

と、小泉首相は国会で首を傾げ苦笑する。議場は笑いに包まれる。

異なる価値観を認めず、多勢の後押しをこれ幸いに持論のみを展開するこの傲慢さ。僕はこの小泉首相が戦後最大の過ちを犯すことになるのではないかと懸念している。

論を立て舌を飛ばしてやりあうのが討論ではないのか。それをただ単に「分からない」では、それは排斥でしかない。改めてヘーゲルを持ち出すまでもなく、テーゼに対するアンチテーゼを認めて初めて議論は高まるのだ。

こんなふうにして、我々の憲法はズルズルと意味を失っていく。戦後50年以上にも渡って体を張ってきた護憲派の人々は、指導者の後ろから遠巻き見ている「多勢」に嘲笑されている。

この構図はかなり深刻な不幸じゃないだろうか。