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●2001年10月17日
「言葉の当事者」
インターネット版朝日新聞で次のような記事があった。タイトルとその一部を転載する。
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米軍、「恐怖の攻撃機」AC130投入 心理戦の様相
(前略)けたたましい音をたて低空を飛び、連射機関銃などで長時間にわたり敵を攻撃できるAC130の投入についても、正確に標的を狙えるため誤射を防げる一方、地上兵には「恐怖」と指摘。「心理インパクトは大きい」と述べた。
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まるでゲームだ。もしくは殺虫剤か何かの説明書だ。この記事の表現は明らかに「殺す」側の書き方であり、「殺される」側の血や肉や悲鳴はどこにも現れていない。例えばこう書き換えたらどうだろう。なるべくいじらずに書いてみる。
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米軍、「残忍な攻撃機」AC130投入 恐怖を撒く作戦
(前略)けたたましい音をたて地上近くを飛び、連射機関銃などで長時間にわたり人間を撃ち殺すことのできるAC130の投入についても、正確に人間を狙えるため効果的な殺戮ができるので、地上で標的にされている人間には「恐怖」と指摘。「心理インパクトは大きい」と述べた。
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言葉がどこから発せられているのか。どの立場の人によって操られている言葉なのか。読み手はそこを十分意識しないと、その言葉に踊らされてしまう。記事の中にある「敵」という言葉は、読み手を「味方」側に引き込んでしまう。どこか遠くにある戦地を、読み手もまた「恐怖の攻撃機」のコックピットから覗いているような感覚にしてしまう。人差し指に触れるわずかな感触が連射機関銃を目覚めさせ、標的をシラミ潰しに排除していける錯覚に誘われる。
一見すると、あたかも冷静中立に書いてあるかのような記事に思えても、「殺される」側の立場で読んでみると、それは冷酷無情な書き方に見えるものだ。
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