●2001年10月16日

「不安感」

オーストラリアの、しかも首都キャンベラやシドニーから遠く離れた西オーストラリアのそのまた州都パースから離れた小さな街にいるせいか、新聞やテレビから伝わってくるような「不安」は、ここではあまり感じない。言うまでもなく「テロ」や「報復」といったものがもたらす不安のことだ。

その不安感は、インターネットや朝のほんの30分ばかりのNHKニュースを通じて日本からも伝わってくる。それもかなり深刻な姿で。いわば当事者であるアメリカからパニックに近い不安が伝わるのは当然だとしても、中東からもアメリカからも遠く離れた、極東の島国日本から強い不安感が伝わってくるのは一体どういうわけだろう。

もちろん僕が日本人であるということと、日本の中でも常に戦争当事者に土地や労力を提供し続けるよう強いられてきたウチナーンチュ(沖縄人)であるということが、その不安感を敏感に察知している理由でもある。しかし、何かがおかしい。日本は今、世界をいやがおうにも巻き込んでいる「テロ」と「報復」のダイナミズムからズレたところにいるのではないか。国際貢献やら人道支援といった口当たりのいい文句を並べ立てているが、それを実行に移す具体策は、いずれも焦点のぼけた目先のことばかりである。世界が今、重要な時期にあるというのに、日本の政治家は相も変わらず自分たちのための政治だけをしている。まるで、口角泡を飛ばしている威勢のいい人々の乗っているヤグラがフニャフニャのお粗末な土台の上に乗っかっているようなものだ。

威勢だけが評価され、まくし立てる言葉だけが注目を浴びる、そんなふうに見えて仕方がない。深く染み渡っている「不安感」は、そういったところへと逃げ場を求めているように見えるのだ。

あのアメリカでさえ、事件直後に見られたブッシュの威勢の良さが、(意図的なのだろうが)少しずつトーンダウンしていったというのに。

やはり、日本のあり方と方向はどこかズレているように思えて仕方ない。