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●2001年9月12日
「憎しみの循環」
一日中テレビもラジオもインターネットもそれで持ちきりだ。
ご存知の通り、昨晩(現地時間9月11日朝)、アメリカで同時多発テロがあった。
詳細はテレビや新聞に任せるが、イスラム原理主義の仕業だという見方がほとんどだ。僕もそう思う。アメリカという国の傍若無人振りに対する憎しみが引き起こしたテロだという見方だ。アメリカという国の、昨今のあまりに目に付く自国利益優先主義は確かにひどいものだと思うが、だからといって無差別殺人を支持することは誰にもできないはずだ。テロの理屈に立つということは、同じ愚かな土俵にたつことを意味するのだから。人間は長い時間を掛けて、憎しみや怒りの感情の結果としていたずらな殺傷をするべきではないと悟ったからこそ、敵討ちとか報復とかの代わりに「法」というものを考えたのではなかったのか。それが上手く機能しないなら、その仕組みを考えるべきではないか。それには時間と忍耐がかかる。だが、民主主義は基本的に時間と手間がかかるのだという原則を持ち出すまででもなく、人間は根気よくねばり強く、何世代にも渡ってそれを築き上げるべきだろう。
テロはどんな問題のどんな解決にもつながらない。それは解決を遅らせ、新たな問題を生み出すだけだ。
今回の同時多発テロは、新たな憎しみを生み、それはきっと今回の被害に更に輪を掛けた規模の報復へと繋がっていくだろう。その報復で手傷を負った人々がまた次の報復へと突き進む。その悲劇的な循環はいったいどこで収まるのだろうか。
僕は本気でこれが戦争につながるのではないかと恐れている。
第二次世界大戦終結から55年。世界の趨勢は、どうも民族主義的国家主義的だ。日本でも「古き良き時代」の復活を待つ人々がいる。アメリカはずっと戦争がやりたくて仕方がない、というふうに見えている。それに火が付くことをたくさんの人が恐れているに違いない。
本当にこんなひどいことが起こったのだろうか。僕はまだ信じられない思いでいる。
何と言うことだ。いとも簡単に人類は危機に立たされる。
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