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●2001年8月21日
「モネとジャパン」
パース駅のすぐそばに美術館がある。そこで7月から9月の中旬の期間「モネとジャパン」展が開催されている。
美術に興味のある方には当然のことだが、フランス印象派の面々は日本の浮世絵をヨーロッパに紹介し、自身もその影響を存分に受けている。だから「モネとジャパン」という展示タイトルから、いかにモネが浮世絵から影響を受けたか、というテーマをくみ取ることができる。
さて、やはりそういう展示だった。北斎、広重、歌麿、といった有名どころの浮世絵がけっこうな数、展示されている。モネの絵は、有名どころでは水仙シリーズがあったくらいで、あとはおそらく初期の作品だと思う。面白かったのは、モネの絵の前にはどれにも「これ以上近づいちゃいけません!」的な手すりと警報機があったのに、浮世絵はガラスで絵を被ってるだけで、どれにもそんな手すりはなかったということ。人々も概してその警備状態に則った動き。おかげで僕はじっくりと近づいて浮世絵を見ることができた。
昔アメリカに旅したとき、あちこちの大都市の美術館を訪ね歩いたが、僕が本物の浮世絵を初めて見たのは確かワシントンだった。日本ですらオリジナルを見たことがなかった僕だったが、その時見た浮世絵の数々に僕はけっこう感動したものだ。日本はけっこう頑張ってるじゃないか、いや、頑張るも何も、現にこうして凄いのがここにあるじゃないか、と異国を彷徨う一人の日本人として妙に嬉しかったのを覚えている。
それから10年以上がたち、僕も何度か浮世絵を見る機会があった。新婚旅行で行った津和野では「北斎美術館」にも行った。そして今回の西オーストラリア美術館。やっぱり浮世絵は凄いなあ、というのが率直な感想だ。
今回見つけたのは、広重の凄さ。きっと男気のある気っぷのいい人だったんだろうなあ。構図の大胆さとそれを現す線の潔さ。いやあ、かっこいい。どれをとっても「もう、こうしか収まらんな」という感じで見事な構図を見せつける。モネも絶対にそう思ったはずだ。モネの初期の作品には、明らかに広重を意識した構図がある。しかしそれらは広重ほど上手くいってないのだ。がんばってる、という感じ。上手な高校生といったら語弊があるかも知れないが、モネは当初、まだ天才ではなかったのだ。優等生がいくら優等生的に頑張っても、「粋な男」にはなれないように、モネは頑張ってはいるが広重の「粋」には近づけなかった。
だけど、おそらくモネは何かの拍子に一線を越える「色」を使ったんだろう。それが彼の光り輝く世界への入り口だったんじゃないだろうか。「これじゃあ明るすぎるだろ」という一線。それを刷毛でキャンバスに置いた瞬間に「モネ」が完成したんじゃないだろうか、僕はそう感じた。そしてその明るさは、浮世絵(のみならず日本絵画と山水画全てを含め)にある「間」の空間に通じるものではなかっただろうか。「何もない」が「すべてがある」空間。浮世絵ではその「間」を「色をのせない」という手法で作り上げるが、西洋絵画のようにキャンバスはすべからく色で埋められるべきである、という方法が確立した世界では、何かをのせる必要があった。それがあの「光り輝く」世界ではなかったか。まぶしさに目が眩み、そこに何があるのか当惑する空間、それがモネの作り上げた西洋的「間」ではなかったのだろうか。
光と言えば、広重も光を扱っていた。江戸の風物を描いたものだったと思うが、河川敷を見下ろす構図の右上に大きな花火がドカンと光る絵があった。まったく同じ構図のものが二枚並んでいたが、その内一枚は、花火が最大に光ったシーン。そしてもう一枚は消えつつあるシーン。同じ原板を使って墨の量だけを変えている。刷り上がりに違いを見せているのだ。僕がほとほと感心したのは、明るく光る花火の絵の方が、河川敷を暗く描いているのだ。消えつつある暗い花火の下の河川敷の方が遙かに明るいのだ。科学的にはそれは逆になるべきだ。しかし、広重は敢えてそう刷った。人の目にはそう見えるからなのだ。その両方を彼は意識していたから、どう刷るか、という段階で選ぶことができたのだろう。つまり彼はただの「粋な男」ではなかったわけだ。天才であるということだけに甘えることなく、彼は彼なりに発見を求める求道者だったわけだ。
そう考えると、モネもやはり天才なのだ。彼は広重を始めとする東洋の手法と精神を、西洋というフィルターで変換し、そしてそのいずれもを彼自身のものとしたのだから。おそらく構図から入った彼は、広重を始めとする浮世絵の中から光を読みとった。もちろん彼に影響を与えたのが浮世絵だけだとは言わない。しかし浮世絵から得たものですらこれだけ独自に展開できるのなら、他も推して知るべしだ。
水仙シリーズにある、湖底と湖面を同じパースペクティブに置いた絵を見ていると、モネがたんに「光り輝く」ものばかりを光に求めていたわけではない、ということがよく分かる。広重が試みたように、モネもまた絵描きにとっての普遍的な光を追い求めていたのだな、と僕は思った。
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