●2001年8月15日

8月15日の二つの顔

8月15日というのは、日本人にとっていろんな意味を持つ日だ。いや、日本人とひとくくりにしてはいけないだろう。正確には「戦後日本人」と呼ぶべきだろう。

一つには「ハレ」としてのお盆。お盆そのものは決して「ハレ」ではないが(むしろ彼岸を語るという点では「ケ」だ)、年中行事の一つとしては、正月と並んで心やすらぐ楽しい日々だ。お盆休みのおかげで、忙しい毎日から離れることができるわけだし。一年に一回の帰省、一年に一回の高校のクラス会、一年に一回の実家でのゴロ寝。祖父母は一年に一回の孫の成長ぶりに驚き、子供たちは盆踊りの夜にはしゃぎまわる。

気持ちを高揚させる毎年恒例の真夏の暑い一日、それが8月15日の一つの顔だ。

そしてもう一つが「終戦記念日」だ。終戦と呼ぶのはどうも正確でないと思うので、僕は大事な場面では「敗戦記念日」と言う言葉を意識して使うようにしている。

戦後50数年、なるべく「戦争で何を得たのか失ったのか」ということから目をそらし、ひたすら経済成長を追い続けてきた日本人にとって、お盆のクライマックスに敗戦記念日があるというのは皮肉にも思える。

「戦争? もう忙しくて忙しくて、それどころじゃないよ」なんていう理由が効かない日なのだ。忙しい忙しいという残業の日々から解放される日、それが8月15日なのだ。ごろんと寝転がってテレビを点けたとき、そこに現れるのは「もう一つの8月15日」の姿なのだ。知らなかったでは済まされない。

今年は小泉首相の「靖国問題」が絡み、8月15日の一面が例年になくクローズアップされた。そういう意味では、彼の「やったこと」「やらなかったこと」は役に立ったと言えるだろう。ここで延々と戦争責任を云々することは(今日は)やらないが、一つだけ言うとすれば、僕はもう小泉という政治家をまったく信用できないということだ。沖縄で生まれ育った僕としての感覚は、彼のとった今回の態度が、どうしても大戦中、いや大戦の前後もふくめ、日本本土が沖縄に対して示してきた態度とぴったりと重なるのだ。つまり彼の目は決して国民を向いていないということだ。アジアを始め、国内の弱い立場にある人々の心を見ない政治家が日本の政治のトップにいるという事実に、いかに彼が「人気者」であろうと、そのお祭り騒ぎの後ろの舞台裏に胡散臭いものを感じてしまうのだ。

言うまでもないことだが、お盆とは死者を弔う日だ。多くの兵士や住民が殺されてしまった無謀な戦争を終結した日がお盆だとは、冗談のような偶然だ。まさか故意に合わせたわけではないだろうが。