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新年の御挨拶(2001年編)
●旦那より新年のご挨拶 明けましておめでとうございます 年賀葉書でなく、長い文章をしたためた「年賀状」を送ることにして、確かこれで4年目です。年末に一年を振り返り、そして来る年をあれこれと頭に浮かべるのは、楽しくもあり難しくもあります。いつも思うことは、来年の今頃はいったいどんなことを振り返り、どんな一年を迎える準備をしているのかということです。去年の僕が、今これを書いている僕を想像し難かったように、これからの一年はきっとまた予想のきかない年になるんだろうなあと思っています。 長男の春樹は、昨年から地元の幼稚園に通い始め、去る12月に無事卒業しました。通い始めは英語と日本語の言葉の違いもあって、春樹にとっては辛い時期だったようです。でも子供の持つ柔軟な適応力というか、何でも取り込む旺盛な生命力というか、卒園の頃は友達との別れを惜しむほどに春樹は成長していました。親はいつも驚きの連続です。 花もずいぶん大きくなりました。日本では3歳の頃を第一次反抗期といって恐れますが、こちらは子供の成長も早いのか、"Terrible Two" と言って2歳がその時期です。二重国籍者の花もその例に漏れず「恐怖の2歳」を邁進しています。「あれしなさい」と言えば「しな〜い」、「食べなさい」と言えば「たびな〜い」・・・、という具合に、かなり順調な成長を送っています。毎日の「やだ〜」に、腹立たしくもあり頼もしくもあり、です。 例年の通り、昨年もいろいろありました。派手な動きはなかったのですが、我ながらよく考えた一年だった、という印象です。畑に肥やしを撒くという喩えを借りれば、まさに昨年はその年だったと思います。 ところで、理江と僕が著した本のこと ですが、新風舎出版賞で奨励賞をいただいた後、ようやく出版に向けて動き出しました。まだ初校の段階ですが、今年の三月頃には出版されるはずです。昨年の今頃は、書いてはみたもののこの原稿はいったいどうなるんだろうと、いささか途方に暮れていましたが、物事はなるようになるもので、どうにか日の目を見ることができそうです。 それから、あるプロバイダーに依頼され、昨年から僕はインターネット上でエッセイを書き始めました 。今年はそれに加え、沖縄の地方紙でも小さなコラムを担当します 。筆遣いも鮮やかに、なんて境地には何万里もありますが、それでも書くことの難しさと面白さを味わっています。 僅かずつではありますが、歯車がようやく動き出したような、そんな一年でした。生活のことを考えれば、先行きに問題なしということでもないのですが、時計だって、秒針が動かなければ分針も時針も動きません。しかし、どの針も原動力は一巻きのゼンマイだと考えれば、一見地味に見えるかもしれないけれど今やらなくちゃいけないことは、一つひとつの針の動きに目をやるのことではなく、ゼンマイをギギギと巻き絞めることではないかと思っています。まあ、いつまでもゼンマイばっかり巻いていても困りますが。 まず、年明けに引っ越しです 。足かけ4年生活をしたパースを離れ、その南200キロの海沿いの街バンバリーに越すことにしました。そして先に書いたように3月に出版。さて、その後は・・・。えーと、今のところそこまでです。「日々是好日」をモットーに、というか結果的にそうなのですが、いかに日々を好日にすべきかと考えつつ、この一年も過ごすことになるのだろうなぁ、が本音です。 ただひとつ、今年自分に課す目標(というほど大げさなことではないのですが)は「コミットメント(係わり合い)」です。自分でも意外なほど、もっと言えば我ながら殊勝と思えるほどじっとしていた西暦2000年、その一年間に蓄えたもろもろを引っさげて、自分の内と外を結ぶべく様々なことに係わっていこうと思っています。きっとそういう年になるだろうと予感すらしています。座り続けるのも疲れたし、さあて腰を上げるかといった感じでしょうか。あるいはなだらかに時が満ちてきたような、潮時(干潮もあれば満潮もある、これはほんとにいい言葉です)が来たといった感じでしょうか。さあて、来年の年賀状に僕は何を書くのでしょう。 では、皆さまのこの一年の健康と幸せを祈りつつ、僕らはこれから引っ越しの準備です。 ●女将より新年のご挨拶 新年明けましておめでとうございます 2000年は不安定な状態で始まりました(まぁそれは特に2000年に限ったことではありませんが、私達の場合)。前年に肇が南極から戻り、一家四人でパースに帰って来て以来書いていたノンフィクションをいくつもの日本の出版社に郵送打診してもどこからも良い返事は返ってこなかったのです。ヤケクソ気味に「もうこれでこの件に関してはお終い、明日から次のことに着手しよう」と応募した新風舎の出版大賞で思いがけず奨励賞を受賞し、そのことが沖縄の新聞に小さく載るや、肇の親戚旧友、果ては未知の人からも「どうしたらこの本を入手できるか」という問い合わせを受けるに至って「もうこれは出版するしかない!」と、新風舎との共同出版という運びになったわけです。副賞に単行本出版が付いている大賞や最優秀賞には二歩も三歩も及ばなかったわけですが、初めて書いた原稿用紙600枚を越える長い文章を最後まで読んでくれた人がいた、そして「いい」と言った人が恐らく複数いた、ということにとても感激しました。私達が日常に忙殺されている間、知らない東京のある会議室で、会ったこともない大人の人々が私達の作品を真剣に論じ合っていた、そう考えるだけで涙が出そうになりました。 |
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